2017年12月14日

めいの居ない1ヶ月

クリスマスが近い今日この頃です。我が家は来年は静かに迎えたいというより、めいの49日迄は正月のお祝い事を遠慮したい気分です。時を同じくして義理の妹が他界したこともあって、義理の親族に関しては喪中状態なので年賀状も出せない状態です。義理の直系でない嫁さんなのですが、やっぱり控えるべきなので毎年年の始めは、義父のところ年始のあいさつに行ってましたが、今回は無理です。年賀状も今回に置いては、出すわけにもいかず、落ち着いてから年賀状出してくれた人にだけ寒中見舞いかな。といった感じです。めいちゃん。今頃まだ我が家での思い出を回想しながら、虹の橋の手前までいく船が出る船着き場迄歩いているのでしょうか?正月の三が日過ぎた四日が49日に当たるので、50日過ぎてから虹の橋の手前までいく渡し船にのって下さいね。めいが逝ってから少しずつ、我が家も整理し始めました。そんななか、実家の母親のめいの事を書いたメモ書きが数枚見つかりました。めいが子猫の頃、私は違う職場の正社員をしていて、帰りが遅くて、平成15年の九月から数ヶ月の間小さなめいの面倒を昼間だけ見てもらってました。実母は、私の休日や、旦那の休日以外は我が家に訪問してくれていてその時の状態をメモったものが出て来て、読み返していました。以下、母のメモ書き…。
平成15年1 1月17日、夕方4時50分、めいは、餌をポリポリといつもより多目に食べてソファーに寝ていますので私も犬の散歩の事もあるので帰ります。
平成15年1 1月20日、めいは、朝ごはん残してましたよ。でも元気なようです。カリカリあげたら食べましてそれから寝ています。猫缶よりカリカリのフードが好きなのかな️(中文省略)夕方4時40分めいはまだ寝
ています。ソファーはめいの寝床なのだね…。いつもそのパターンです。そろそろ帰ります。

平成15年=2003年。1 1月のメモ書きなのでめい生後半年の頃のものです。この当時はインターネットはあってもブログというものがまだ普及していなかった時代です。2005年ぐらいからブログは普通に知られて普及してきたかな…。私がブログ始めたのは2006年からだけど2003年の母親の1 1月のメモ書きが出現したのは…。なんの因果だろう…。1 1月17日のメモ書きが先に出て来て…。うるうるさ。それから14年後のこの日は、めいを荼毘に付して、遺骨にした日…。その二日前の11月15日がめいの命日。だからめいがいなくなってひと月になる。めいの遺骨はまだ我が家に置いてある…。
めいが逝ってしまってから、徐々に落ち着きを取り戻しつつある我が家だけどね。まだまだその途上。簡単には片付けや、整理が出来ないよ。いろいろあったことを思い出してさ…。

めいとくるみが登っていたはしごのようなキャットタワー。くるみも年を老いてきたのかあまり登りたがらないので、めいの祭壇がわりになりました。今はクリスマスリールが遺骨の側に飾られています。

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2017年12月06日

寒くなりました。

DSC_0097.JPG暖かい空気が来ないや…。今日は、やはり夜半過ぎから寒くなりました。関東以外は、昨日からすっぽり寒くなった便りがニュースとして届いてはいるけれど、関東も時間の問題である。ストーブをつけたまま寝るわけにもいかないので、少しだけタイマーで暖房と湯タンポで寒さと格闘中です。去年はまだエアコンは始動しなかったよ。こたつもまだ出してはなかった去年のこの時期だったけど、今年は、寒いのが早くやって来た。だから1 1月にこたつは出していたのですが、あと、くるみの年を考えて夜間はくるみはリビングのこたつの近くで寝てもらっている。こたつの電気は寝る前には切るので湯タンポが欠かせない。畳3畳程のいつもいるくるみのスペースは、冬場は冷えるので湯タンポをボロいくるみの毛布にくるんで段ボールの小屋に入れて通常は提供してました。小さなミニエアコンは極寒気時期にはタイマーでいれてましたが、くるみの年を考えると人間たちも時々は、寝ているこたつの近くで寝てもらうようにしていくつもりです。少し前まではめいのテリトリーでしたが、めいが旅立った今は、夜の寒い時間はこっちに来てもいいように三畳部屋のドアを開けています。だから今はリビングで寝ています。

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2017年12月05日

タイムカプセル

我が家に届いた10年前の手紙・・。差出人は10年前の自分自身・・。私のパート先の自治体で10年前に10年後の自分や親しい人に向けての手紙を書きタイムカプセルとして10年の間自治体の倉庫に保存して、10年後の記念日に配達するというイベントがあり、届きましたよ。このタイムカプセル当初はパート先の老人ホームで入居者さんと担当のスタッフで、10年後の親族にお手紙を書き届いたらいいねという感じで、書いていたものだが、個人的にも書きたかった部分もあり市役所にタイムカプセルの封筒があるからそれをもらってきて書けばいいよとのことで、パート先の自治体の市役所にそれ用の封筒を取りに行き手紙を書いた後そこの市役所にタイムカプセル手紙投かんします。ということで預けたものだった。私は仕事で入居者さんと一緒に書いたものとは別に、個人的なものは個人的に市役所に行って投かんしたのだが・・。それが、パート先と自分の家と届いた。パート先に当てた手紙は10年後も何らかの形でここに勤めていれば幸いですが、義理の両親の体調次第で流浪するかもしれず、もういないかもしれないので・・。いないと仮定して有難うございました。と挨拶状を書きました。という文でした。2007年11月28日に書いたものでした。
 ケアマネが10年前のタイムカプセル届いたから返すね。ということで私のところに戻ってきました。
 我が家に届いた10年前の手紙の方はちょっとシビアな内容から始まっています。私がある事情から子供をあきらめるしか方法がなかったこと・・。義理の両親のこと。
少しシビアでしたが、最後はめいの2007年に写した写真が同封されていました。
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 これが同封されていためいの写真です。生後四年ぐらいのまだ若いめいであります。この時期はまだスマートホンはこの世にはなくてガラケーだった時代です。当時画像度はそれほどよくない携帯電話のカメラ機能で写したものです。
 最後の文章でこの手紙届くころめいは15歳に近いかもしれませんが、生きていてくれたらうれしいです。という文で終わっていた・・。言葉に詰まったわ・・。
 めい・・。この手紙届く寸前に虹の橋へと旅立ってしまったよ・・。とため息をついた・・。

 あと、義弟あてに書いた手紙が、あて先不明のため返送されて帰ってきた・・。確かに2010年ぐらいに引っ越したので、昔の住所だと返送されて帰ってくるわ・・。その手紙には、とにかく離婚するなよ・・。と書いて送ったものだけど、届いたら恥ずかしいから捨ててと義弟にはそれとなく話しておいたのですが・・。ある意味届かなくてよかったと思う・・。義弟のところは、初婚の相手とは子供ができてから、子供の育てる上の方針や性格のすれ違いから離婚に至っている。親権も最初の奥さんにとられた。それで再婚したのはこの間逝ってしまった義理の妹。2007年当時は義弟は再婚したばかりなので・・。もう離婚するなよ。という文を書いて市役所内にあるタイムカプセル用のポストに入れた・・。

 私の記憶ではあと数人の人たちにタイムカプセル用のの手紙を書いて市役所のタイムカプセル用のポストに投函している。まずは、実の兄には、実の母のことと、子供を産みたかったけれど経済的事情があって子供を産めそうにないと、本当の理由を書いた。旦那が不幸にして先に立たれて私が未亡人になったらある一定の時期を経てで戻るかも?・・。ということも正直に書いた記憶がある。他にも数人書いているが、挨拶状程度のもの・・。いつか笑って会えるといいねとその当時の状況を少し書きましたけれど・・。

 タイムカプセルの手紙を書いた時期である2007年当時は、いろいろ困難なことがあってもまだましだと自分自身に言い聞かせて働いていた頃だ・・。だけどその後は、それから二年もしないうちに旦那が整形外科的疾患で当分の間動けず七か月以上の休職・・。その間は当然ボーナスもなく、旦那は傷病手当金として六割分の給与だった・・。旦那は正社員だから、六割の給与でも、ありがたかったし、なんとか私たちが路頭に迷わず私のパートの給与を足しての生活だった・・。子供がいなくてよかったわ・・。夫婦二人だけなら何とか生活できる・・。と自分自身に言い聞かしていた・・。子供がいるパートさんからなんで子供産まないの?と聞かれたが、大黒柱が入院中でこども産める状況ではないわと笑い飛ばしたけど・・。複雑だったのは言うまでもない・・。そんな中においても猫(笑)めいや猫(笑)くるみの存在は我が家の癒しになっていく・・。整形外科疾患から復帰した旦那に降りかかってきた人間ドックの検査結果と精密検査のための受診。副腎腫瘍、脾臓腫瘤、肝臓の一部に病変あり、おまけに急激に腎機能までが低下しており、悪性リンパ腫の可能性も否定できないとのことで、再度休職。あらゆる検査を受けていた・・。ガンと判明した場合余命どれぐらい残されているんだろうと顔(え〜ん)私が、悩んでいた頃でも我が家の猫たちは、プラスの方に話題を提供してくれました。猫(笑)猫(笑)猫たちにありがとうと言いたいです。
 旦那の病気については、結局は副腎、脾臓、肝臓の一部については、それらはそれぞれの独立した病気だったけれど・・。脾臓の場合は最近判明した病気で悪性にも変化するかもということで・・。脾臓は全摘。副腎は両方に腫瘍があるため手術はできず、難病指定のある病気に伴う慢性腎臓病という診断で旦那が精神的にも落ち込んでいた頃も我が家の猫たちはそんな中でもプラスの話題を提供してくれていました。だけど経済的にはすごくきつかった時期です。この間に旦那だけではなく、
 私自身も事故で筋断裂起こして歩けなかった時期や、車の追突事故の被害者になってむちうち状態になってパート先を休んでいた頃もありました。挙句の果てにはブレインの動脈瘤のコイル塞栓術ってか・・。これは完全には治っていない、なぜなら大きい動脈瘤は手術できても3mm程度の動脈瘤はまだ生きているからである・・。普通の人ならそれだけでもビビるわな・・。でも私の場合はもっとでかいのがあったから・・。それは手術で破裂しないように処置してもらい、小さいものは手術できないので要観察中。の現在。
 旦那自身も仕事に復帰しても・・。大怪我でしばらく入院とリハビリいうこともあったし・・。この10年間の間我が家はいろんなことがあり、走馬灯のごとく思い出した。そんな暗い中でも我が家の猫たちはプラスの話題を提供してくれた。その猫も一匹は虹の橋へ旅立っていき、もう一匹は、元気なのですが、年もあってそんなに活発ではなくなったです。旦那は猫(泣)めいがいなくなって落ち込んでいるけど仕事しないと生活できないので体調があまり良くない中でも頑張ってくれています。私は持病があるのでもう正社員にはなれないけど、もう少し体力的に自身がもてるならフルパートがゴールだと思っています。ただ今は猫(泣)めいを見送ったこともあり、年末でもありあわただしいので・・。もう少し我が家の方も落ち着いてゆとりが出ないとフルパート希望に踏み切れないのよね・・。それが今の心境・・。だけど今年に入ってから出費出費で経済的には厳しいのは言うまでもない・・。それでもめいの寝顔とくるみの愛嬌で救われていた部分はありましたが・・。しばらくは金欠病という病の我が家であります。

 これからの10年もいろいろあるんだろうな・・。と思いつつもフルパートで働いている10年後の自分に会いたいです。ただ・・。猫(泣)猫(泣)くるみちゃんもあと10年は生きられないと思われるから、悲しい場面に遭遇することもあるでしょう。でもまだ今は生きとるねん・・。だから今を大事にしたいです。
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ニックネーム おはる at 18:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

なんとかワクチンを受けにいきました。

DSC_0111.JPGくるみちゃんは、先日三種混合ワクチンを受けにいきました。いつもはホームドクターのところでやってもらっていたのですが、今回はセカンドドクターサイドの病院でやっていただいた。というのも、診察代金込みで五千円台の料金だったもので、ホームドクターのところでは、毎回診察代金込みで6500円程度かかってたですが、ほんの少しだけ節約できました。同じワクチンでも薬品会社によって高い所とリーズナブルの所とあるようです。
くるみちゃんは不機嫌でしたが、さっとすませていただきました。丸一日は安静です。ドクターは、めいちゃんがいないことでダメージ受けていないかと聞かれたので、笑いながらくるみより人間ですよ。ダメージ受けているのはと、言いましたが…。くるみはもう少し落ち着いたら血液検査かな…。本当は血液検査してから注射してもらいたかったが…。料金的な部分で今は金欠病なので血液検査は年明けてからになりそうな感じだ。

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ニックネーム おはる at 23:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月01日

師走です。中年夫婦と猫一匹の暮らしになりました。

 今日から12月です。この年になって体にこたえる部分あります。今年一年を振り返れば、いいことがなさすぎる一年でした。まだ終わっていないけれど・・。あらゆるものが壊れるという経済的な出費と精神的な癒しの他界により、我が家は懐が寒く、暗い雰囲気の中を漂っているかのようです。つらい年末になりそうです。

 旦那が話しかける相手はくるみなのに・・。なぜかめいちゃんと呼んでいます。
くるみは顔を見上げて「めいちゃんではないんやけど、仕方がないんや・・。」と言っているかのごとく時折首を横に振ります。そのくるみも来年は14歳になります。
 めいの13歳時よりは体力的にも精神的にも元気なのですが・・。こたつに入ってよく寝て体が熱くなると出てきてこたつ布団の上で寝ております。
 
 私が仕事の時はくるみは、三畳部屋にいてもらっています。今までは、隣のリビングにめいがいてめいの気配は常に感じ取っていたので、それで隣にはめいちゃんいるから一人ぽっちではないんやとくるみ自身自分に言い聞かせていた部分もあるのでしょうが、めいが虹の橋に向かって旅立ってしまい、一人で留守番しなければならなくなりました。臆病なくるみは年を老いてから一人だけの留守番ができるのでしょうか?また、めいが逝ってしまってから、くるみは時折自分の用足し以外でもトイレを覗き込むようになりました。めいがいるかいないかの確認しているかのようです。
 まだめいの残り香というか、サブトンとか使っていたものの匂いがくるみにはわかるのでしょうか?使ってもいいんけ?と言っているようなしぐさで私たちをみます。いいよと話しかけるとそれでちょこんとすわったりしています。めいのお供え物は時間がたてばくるみが食べてくれています。ちゃっかりしている部分もあるけれど・・。そこも含めてかわいいですよ。毛もひげも短いけれど・・。アビシニアンなので普通の和猫よりもずっと毛は短めです。おまけにベージュと茶色の毛並みなので抜け毛一つでくるみなのはわかります。
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 年末なので大掃除の時期になりつつあります。我が家も少しずつですが、後片付けを開始しています。でも時折めいの長いひげやアメショーらしい抜け毛を発見するので、めいのことを回想してしまい挫折することもありますが・・。
 少しの間休んでブログ再開したとしてもしばらくはめいの回想的なものになると思います。それでもよかったら覗きに来てくださいませ・・。時々はくるみちゃんのこともカキコしますので・・。よろしくお願いします。
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めいの祭壇の前は、少しだけさっぱりとさせて、写真も元気のころの若い写真を添えてみました。くるみが眺めているようですが・・。彼女の目的はお供え物のカリカリのようです。
 
 
 

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2017年11月30日

虹の橋の手前に旅立つ義妹に手紙を託す。

DSC_0106.JPGDSC_0109.JPG愛するペットが逝くところは、虹の橋の手前だという。虹の橋を検索してみると、誰が作詩をしたのかはわからないけれど、世界的に有名らしい。第1章が有名なのだが、最近は、第2章、第3章がある。内容は読んでみればわかるのだが、第2章については生前恵まれた環境ではなかった動物の魂と同じような境遇だった一人の人間の魂が出会って癒されていく話。第3章は、雨降り地区というところにたたずんでいる動物の魂のお話です。第3章は、ジーンとくるわ…。
そんななか、水玉猫さんという一人の作家の短編小説を発見した。虹の橋の猫〜銀の鈴という題名です。段落ごとに短く区切って配信しているサイトもあるが、ある別のサイトで大体の内容が、わかったのです。段落ごとに区切って配信しているサイトでは、今現在、ある日虹の橋のゆきの切符が届いて旅を始める前の猫は年をおいでいて足取りが重く、船着き場にたどり着く前のエピソード〜船に乗ったら体が軽くなっていくけれど、以前飼われていた家が見えたので帰りたかったが、それは出来ないと渡し守に言われ号泣する猫の話まで配信されているようですが、この猫ちゃんその後はどうなるかというと、ある使命を帯びて虹の橋の入口の門近くに住むことになり、歌を歌うんです。その先は段落でどういう展開になるか想像して楽しみに配信を待っている人もいるので教えないでおきますね。私は別のサイトで大体内容がつかめたので、感想をいうとすれば、悲愴感はあるけれど、しっとりとした内容なので、じぃーんとくるものがあります。

さて、話は変わりますが、めいが逝ってしまってから、初七日で、義理の妹が逝ってしまった。当然ながら葬式に参列する我が家。11月に火葬に立ち会うのはこれで二回目。猫と人間の違いはあるけれど、やはり悲しいものはありますよ。ただ、会葬御礼の葉書の内容が、それまでのものとは違い。義弟が文章を考えて作ったもので単なる挨拶状では、なかった。その中の文章で慰めは妻が独りではないこと、愛してやまなかった先に逝った先代の愛犬と共に花がいっぱい咲くところで安らかに過ごしてほしいと願っています。という文章がありました。義弟に、虹の橋の話を知っている?と聞くと知らないというので、愛するペットが先に逝ったら、虹の橋の手前で遊びながら主人は、来るかな?と待っているの。そこは食べ物も水もあるし、花も一杯に咲いているところでね。病気や苦しみは現世に置いて来たので元気な姿に戻るのだけど、現世で別れてきた飼い主である主人と再会したら、一緒に虹の橋を渡っていく話だけど、世界的に有名な話なので、良かったら調べてみたら?と話をしました。
義妹が旅立ったことによって先に逝った愛犬は、花畑で待機していて後に再会することでしょう。そして、虹の橋を渡っていく事になるでしょう。そう思ったとき愛猫めいの事を思い出した。めいは、今はまだ我が家の側にいると思うけど、私たちの悲しみが少し深いものになりつつあるので、めいの事だから、「私は…。現世でおとーちゃんや、かあちゃんを心配させて悲しませてしまった。虹の橋の前の花畑で待っている資格はないわ…。」と思い込んで自ら哀しみの雨降り地区に入ってずっと雨宿りをする事になりかねない。生きていた頃から猫にしては律儀過ぎる部分があったので、自ら雨降り地区に入り込んでしまう。確かに私たちは今は哀しみのなかにただずんでいる。だけどね、だからと言ってめいがそう思って雨降り地区に入ってほしくないの。義理の妹に最期の手紙を書いて柩にいれました。「お願いがあります。虹の橋の手前の花畑で愛犬に会って、虹の橋をわたる前に、雨降り地区を覗いて見てください。あなたが逝く7日前に私たちの愛猫が病で生涯を終えています。写真を添えますので、雨降り地区にたたずんでいたら、拾って晴れている花畑に誘導して下さい。そこで待っているように我が猫に伝えてほしい。いずれ迎えにいくから…。」めいが座って正面からの写真を添えて託しました。
義妹が荼毘に付されているあいだ。少しだけの時間斎場から離れて外の空気を吸っていた。南関東のここも木々が紅葉してきれいだな。と思った。今年は私たちにとってはゆっくりと花を見たり、自然を眺めたりする時間がなかったので、久しぶりに少しだけ紅葉を見て浸れた気分でした。ふと空を見上げて義妹に「頼んだよ。」とひとり呟いた次第です。写真は斎場近くのある場所で写しました。私のすんでいる北関東ではもう枯れ葉になって散っている所も多いのですが、ここでは、まだ枯れ葉出前の紅葉なので綺麗でした。

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2017年11月21日

少しの間ブログお休みします。

先週の今頃はめいはまだ生きていました。何とかトイレに行っていたし・・。だけど弱っていたのは、事実です。
 今日は初七日です。そろそろ、かたずけして掃除しようかなと思った矢先めいのひげを発見しました。めいのひげは白いのですが、根元が黒くて長いのですぐわかります。だんなは、我が家で飲酒しながら「めいちゃんカムバックしてきてよ・・。戻ってきてくれよ・・。」と言っています。私よりもだんながペットロスに陥りそうな気配です。それでも何とかくるみがさりげなく愛嬌をふるまっているので現状維持できているようですが・・。くるみも若くはありません・・。いつかはくるみもいなくなってしまうことを考えると正直本当にペットロスに私がかかるかもしれません。
 めいの使っていたものはくるみに使うことにしました。くるみはめいの匂いにはあまりこだわらないようなので・・。処分しなくてすみそうです・・。
 SDやメモリースティックに入っているめいの写真をプリントしてもっと元気そうなめいの写真を遺影にしようかと思っています。

そんな矢先、主人の弟から電話があり・・。奥様がお亡くなりになったという連絡が入りました。つまり私から見れば義理の妹さんです。旦那の直系の妹ではないけれど・・。ガンを患っていたので自宅療養していたのですが・・。急変して永眠してしまいました・・。少しの間そっちの関係でブログカキコをお休みします。
 
 めい・・。今頃どこにいるの?ふみさんが逝ってしまったよ・・。めいの初七日に・・。もっともめい自身は義理の妹には会ったことはないけれど・・。確か犬を飼っていたはずだと思うのですが・・。わんちゃんもつらいだろうね・・。
めい・・。義理の妹さんに会えたら挨拶するんだよ・・。

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ニックネーム おはる at 23:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月19日

そして・・。

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 写りは悪いですが・・。二か月前に古いガラケーの320万画素で写しためいの写真です。お気に入りの白いクッションで休んでいます。このクッションめいのお気に入りなので段ボール箱の柩の下の方に副葬品として入れていたのですが、業者より、これは別に処分させていただきたいのですが・・。という返事がきました。理由はダイオキシンが出る可能性があるからという理由です。燃やしてもダイオキシンを出させないそこの自治体の新しいごみ焼却場に白いクッションは行くことになりました。くるみも使っていた部分もあり引き取ろうかと思っていたのですが・・。だんながめいのお気に入りだから・・。ということで・・。
 めい・・。お気に入りのクッションはあとから宅急便にて届けるからね・・。という風に考えました。D1010098.JPG
荼毘に付されて小一時間ぐらいで業者より終わりましたということで骨になってしまった彼女を見ました・・。小さくなっちゃったね・・。ツボの中に入っためいの遺骨・・。白い袋というかカバーはかけたくなかったので、旦那は赤っぽい色でということで赤っぽい袋に入れてくれたけれど・・。まだ納骨堂にはおきたくなかったので我が家に連れて帰ってきました。
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 キャットタワーとして使っていたところにお供えをしてとりあえず当分の間安置ということにしました。
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 めいちゃんの御霊はまだその辺にいると思うので、オルゴール音のクラッシックをかけて冥福を祈ります・・。オルゴール音のクラッシックをお経代わりにしています。  少しの間ブログカキコ休ませてください。
ニックネーム おはる at 23:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

めいを送り出す。

DSC_0085.JPGDSC_0093.JPGめいを送り出す日は、少し慌ただしかった。この日は以前から私の車の車検の日で、業者に車を朝から預けなければならなかった。朝早く9時に業者に車を預けて、我が家に戻り、めいと最期の別れをして、送り出す。写真は送り出す寸前に段ボールで作った柩に猫のめいを納棺して、好きだった食べ物とキャットニップを置いてめいに贈る言葉を封筒に入れました。くるみが遠くから見てました。段ボールの柩を作ったときにくるみが、それに入っていたので、くるみの使うものではないよと声かけてくるみを段ボールの箱の柩から出してから、めいを納棺しました。めい…。やせっぽちになったけど眠り込んでいる姿で、触ればひょいと顔を動かしてくれそうな感じですが、現実は冷たい骸かと思うとやっぱりつらかったです。めいを送り出し、荼毘に付される寸前、お線香を立ててめいに、私が寿命でそっちにいった際には、先に逝った人に会う前に迎えに来てよね。案内してくれないとわからないし、方向音痴だから。と心から問いかけて送り出しました。その後の事はまた後日カキコしていこうかと思います。私自身もめいの看病と介護の日々で睡眠時間は平均四時間ぐらいでした。睡眠不足なのです。少しの間休ませて下さい。少し落ち着いたらまたカキコしていこうかと思います。

ニックネーム おはる at 23:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月16日

めいに贈る言葉

DSC_0087.JPG毎朝5時に寝室にやって来ては、お早うにゃん。お腹すいてきたにゃん。ご飯くれるとありがたいにゃんという猫の声で私はいつも目を覚ましていたけど、もうあの少ししわがれた声を聞くことができないか?と思うと。めいがどんなに大きい存在だったか…。私よりも旦那の落ち込みが…。めいは、旦那が大好きでなついてました。若い頃は光のたま遊びを、昼間は手鏡、夜は懐中電灯で遊び相手にしてました。走っておうめいの姿。旦那が何度も病院に入院して、暫くいなかった時がありましたが、だんなのベッドで添い寝してくれていためい…。旦那は入院中めいの写真をフレームごと病室内の床頭台に飾り、手術にのぞんだようです。アイシアペットフードの2010年のカレンダーの写真にめいの写真が、採用された事を知ると病室にいた旦那は嬉しかったそうです。写したのは2009年のある日に面白い仕草を写したものですが…。
2011年に起きた東日本大震災…。関東にはすんでいたので、死者は、少なかったのですが、地震の余震で怯えるくるみをめいは、大丈夫にゃ…。大地震の日も、とうちゃんもかあちゃんも帰ってきたから。といわんばかりの表情で、私達が帰ってくるとほらにゃん。とないて、出迎えた程。あれはなごみましたよ。精神的にはくるみより強いんだと…。高いところはくるみのテリトリーにされても、あまり気にしない猫でした。人間の目線ぐらいの高さがあれば私は充分…。何で高いところはにいる猫が、強い猫だといっている人間たちの気がしれにゃいにゃ…。それでも時々はキャットタワーに登って窓の外の景色を見てましたが…。やがてめいに子宮水腫の病で手術することになり、その二ヶ月後私が手術することになり、手術不安があった私を、私は二回も全身麻酔やっているにゃん。あまりいいものではにゃいけど、悪いところはにゃんとかしてもらわにゃいと治らなくなるよとも表現で言ってといるようにも取れる仕草。やがて難病で通院点滴の最中も怒ることもなく、おとなしく受けていためい。めい自身は、それをして家に帰れば、素敵なご馳走が出るとインプットしていたようです。前向きで律儀なめいちゃんでした。めいがいたから、我が家は暗いこともあったけどなんとか乗り越えてきたよ。めいやくるみのなごんでる姿を見ると落ち着くのでした。だけど、あと数日もしたらめいちゃんの身体はなくなり、思い出だけが残ることになる。そのたくさんの思い出達は、ちょっとした瞬間に彷彿として出てくると思いますが…。暫くは涙が出そうです。大好きです。14年前秩父という猫にとっては遠いところからやって来た小さなめいちゃん。最初の日は親を求めて鳴いていた…。めいちゃん。やがてくるみが来てから少しだけお姉さまぽくなりました。ただし、べったりはしないから…。他の猫ちゃんがべったり他の猫ちゃんにすりついて寝ている写真を見ますが、そこまで仲良くしなかった。だけどね。付かず離れず程よき距離を保てていたと思うよ。今はくるみが、あなたの側で思い出に浸っているのか単に日向ぼっこかわからないけれど、私はくるみにもめいとの思い出があるので、眠りながらめいとの思い出に浸っているのではないかと信じたい。
めい、うちの子供として来てくれてありがとう。明日は、本当に送り出す日。悲しいけど…。再見…。いつかまたどんな形であれ再会できることを信じて…。

ニックネーム おはる at 10:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする